8月は終戦を迎えた月。日本各地で15日を中心に様々な行事が行われたことだろう。
今日、地域の「平和を考えるつどい」で學童疎開が取り上げられ、そこへ参加してきた。junが知り合いに誘われて、それで参加した。折からの暑さでどのくらい集まるか心配されたが、予定されていた椅子では間に合わぬほどの盛況だった。
しかし集まったのは、概ね60を越えた人たちが殆ど。小中学生やそれらの親の姿は見られなかった。戦争は本当に日本から遠のいているのか?こうしたイベントが年寄りの昔話に終わり、平和が持続されているのならば、ある意味幸せなことではあるが。
二部構成で、最初に學童疎開をテーマにした地域を扱った紙芝居が演じられた。紙芝居も良く出来ていたし、演じる(読む)方も慣れていて、すばらしいと思った。
第二部は、なんと、學童疎開を教師の側で経験した先生の話。それも地元の小学校で教鞭を執られ、疎開にも行き、今も地元に住んでおられる方。
以前、我々は機会があって、この年代の少し後、終戦の時に今の高校・大学を迎えた人々が多い会合の席で、思い出話を語ってもらったことがある。やはり多くは戦後の混乱期を生きて生きて生き抜いた話が多かった。その時代を経験しないと語れない、話ばかりだった。重みのある話が続いた。
その時の感度も大きかったが、今日の先生の話は更に迫力があった。時代に翻弄されつつも、その職責を苦労しながら様々な課題をこなしていった話は、傾聴に値した。しかしそれだけではなかった。この先生の偉いところは、今を見つめていることだ。
実は疎開先は福島の湯本。そこも危なくなって再度会津若松に疎開したのだが、彼女は今こそ我々は福島に恩返しすべきだと話を締めくくった。私も活動している、皆さんも活動して欲しいと結んだ。頭が下がった。と同時に、この時代を生きた人には敵わないとも思った。
今日、地域の「平和を考えるつどい」で學童疎開が取り上げられ、そこへ参加してきた。junが知り合いに誘われて、それで参加した。折からの暑さでどのくらい集まるか心配されたが、予定されていた椅子では間に合わぬほどの盛況だった。
しかし集まったのは、概ね60を越えた人たちが殆ど。小中学生やそれらの親の姿は見られなかった。戦争は本当に日本から遠のいているのか?こうしたイベントが年寄りの昔話に終わり、平和が持続されているのならば、ある意味幸せなことではあるが。
二部構成で、最初に學童疎開をテーマにした地域を扱った紙芝居が演じられた。紙芝居も良く出来ていたし、演じる(読む)方も慣れていて、すばらしいと思った。
第二部は、なんと、學童疎開を教師の側で経験した先生の話。それも地元の小学校で教鞭を執られ、疎開にも行き、今も地元に住んでおられる方。
以前、我々は機会があって、この年代の少し後、終戦の時に今の高校・大学を迎えた人々が多い会合の席で、思い出話を語ってもらったことがある。やはり多くは戦後の混乱期を生きて生きて生き抜いた話が多かった。その時代を経験しないと語れない、話ばかりだった。重みのある話が続いた。
その時の感度も大きかったが、今日の先生の話は更に迫力があった。時代に翻弄されつつも、その職責を苦労しながら様々な課題をこなしていった話は、傾聴に値した。しかしそれだけではなかった。この先生の偉いところは、今を見つめていることだ。
実は疎開先は福島の湯本。そこも危なくなって再度会津若松に疎開したのだが、彼女は今こそ我々は福島に恩返しすべきだと話を締めくくった。私も活動している、皆さんも活動して欲しいと結んだ。頭が下がった。と同時に、この時代を生きた人には敵わないとも思った。
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